独りよがりを治す気はない

日常的な思考整理手帳

2018/4/23 #9 「運がいい」の意味

 

 

守秘義務かもしれないが隠せるところは隠しながら行きたい。

 

 

今日とある企業の会見に行った。役職に関する会見であったが、そこで昇進する人が言った言葉が残っている。

 

 

「私は運が良い。例えそれが世間的に見ても当然であると思うことでも運が良いと思うようにしている。」という言葉である。

 

 

この言葉は旧松下電気の入社試験の面接でも言われていた言葉である。「今まで貴方の人生は運が良かったですか?」という質問で「いやぁ、運が悪かったです。」と答えると落とされるという有名な逸話がある。「運が良かった」という人は周りに恵まれているという感謝や、自分の実力以上に外的要因に対しての感謝の気持ちを持ったいるからとか、そんな理由だった気がする。

 

 

自分も似たような感情を持つようにしている。自分の人生も適当に生きてきた割には本当に運が良いと思っている。

 

 

適当に選んだ大学で軽音楽部に入って、音楽についてより詳しくなれたのも運が良いし、その流れで音響の仕事にも関われているというのも運が良いし、気分が落ちた時でも支えてくれている人が側にいたのも運が良かったし、またその音楽のおかげで色んな人と知り合いになれたという事も運が良い。

 

 

打算的に生きてきたつもりではあるが、それ以上の成果を肌で感じることが多い。もちろん運が悪かったと思う事もあるが、それ以上に自分のミスである事が多いし、本当に運が悪かった事は少ない。

 

 

捉え方次第で何とでもなると色んな哲学者や宗教職の方が言っている。「幸せ」と感じるハードルを下げる事で、幸せはいくらでも感じる事が出来ると大体の宗教が言っている。

 

 

「運がいい」も似たようなものなのだと思う。成るように成った結果をどう捉えるかの問題なんだと思う。宝くじや懸賞とかも結局買ったり応募したりしなければ当たらないし、したところで当たる事はない。目に見えるものでなくとも、その環境に身を置いている事でなって来た結果である事もあると思う。それを「運が良い」と言う。自分がそうしたというところを置いておいて、他人や周りの環境が良かったと思う事、謙遜のような美徳みたいなものが「運が良い」という言葉に詰まっているのだと考える。

 

 

自分も松下電気の話を聞いてから、「運がいい」と思うようにしているが、まさか会見で同じ話が出てくるとは思わなかった。

 

 

おんなじ事を思っているのだから俺も出世したい。(本音

 

 

ではでは

 

 

tre

 

 

 

2018/4/22 #8 人情八百屋〜立川梅春〜

 

 

本ブログ更新したし、今日くらいブログ更新しなくてもいっかなとも思ったが、経験上辞めるとしなくなる気がして仕事の休憩中に書く。

 

 

立川梅春、声に出して読みたい日本語トップ10に入りそうな名前であるが、身もふたもないことを言えば、立川梅春は映画監督であり、芸人でもあるビートたけし北野武のことである。

 

 

少し前にタイタンの記念ライブで、立川梅春が落語をした。その話に選んだのは「人情八百屋」である。

 

 

落語は落とす噺でなく、泣かせる噺もある。「笑わせるよりも泣かせる方が簡単だ」という芸人の中での訓示みたいなものがあるらしい。過去のコント番組でも笑わせるコントだけでなく泣かせるコントもある。ドラマと何が違うんだとも思うが、コントの世界も色々とあるらしい。

 

 

さて、人情八百屋という噺。

 

八百屋に物乞いの親子が来た。八百屋の主人は親から話を聞くと、お米と野菜を持たせて帰らせた。夜に奥さんから勘定が合わない事を問われた主人は申し訳なさそうに物乞いに野菜をあげた事を奥さんに告げると、「良いことしたじゃない。あれだったら売れない野菜持っててあげなさいよ。」と言われしばらく経って物乞いの家に行く事にした。

 

物乞いの家に行くと嫌に静かであった。隣の人に話を聞くと人に言う話ではないと言われ、どうしてもと八百屋が食い下がると、両親が自殺したらしい。八百屋に貰った野菜とお米で久しぶりの暖かいご飯を食べて居る最中に借金取りが来て、暖かいご飯を食べて居るのが気にくわないと言い、食料を全て持って行ってしまったという。それに憐れと思った両親が次の朝に首を吊って死んだと言った。

 

「八百屋が余計なことしなけりゃ、親も死ぬことはなかった」と悔しがる隣人に、何とか口を開けて「実は私がその八百屋です」と八百屋が告げると、隣人は慌てふためいて、「いや違うんだよ、あんたは何も悪くないんだよ、悪いのは全部あの借金取りなんだよ、八百屋が悪いと言ったが、あれは言葉のアヤだ、あんたは本当にいい事をしたよ」と返す。

 

「いや本当に取り返しのつかない事をしてしまった。」と泣く八百屋とそれを慰める隣人としばらくやり取りがあり、「そう言えば子どもはどうなった?」と八百屋が隣人に聞くと、「いや、子どもは本当に良い人に拾われたよ。ヤクザの親分が拾ってくれたよ。あの物乞いの親子の事を聞くと真っ先に自分が引き取るっていう言ってくれたよ。」と言った。

 

八百屋がせめてその子どもに謝りたいからそこへ行くと隣人に告げ、ヤクザの元へ向かった。ヤクザの親分に行くと「いまは忙しいんだ、そして機嫌も悪いんだ。」と言われた。よく見ると物乞いの子どももノビノビと暮らしていた。「あの子どもも可哀想にな。八百屋のせいで両親死んだんだよ。本当に無責任な奴だ。」とヤクザが言った。

 

また何とか口を開けて「実は私がその八百屋です。」と告げた。「八百屋?!お前その八百屋か?!」「はい、八百屋です。」

 

…ヤクザが口を開いた。「いや、すまない事を言った。ほんとうに申し訳ない。今のこのご時世にあんたは立派だよ。見ず知らずの人に野菜とお米をあげるなんて立派だよ。子どもを見てくれよ。あいつらお母さんどこ?お父さんどこ?とか一切言わないんだよ。気を使ってないようで気を使ってくれてるんだよ。立派だよ。あんたのような人ばかりだったら良いんだけど、借金取りみたいな奴もいる。あぁあの借金取りな、取っ捕まえてボッコボコにしてやったよ。これがあの夫婦の弔いにも何にもならないが、せめての弔いだよ。」

 

「あんたは奥さんは居るのか?子どもは?」とヤクザが八百屋に聞くと、「いや、奥さんは居ますが、子どもは居ません。」と答えた。すると、ヤクザは子どもを預かってくれないかと言った。「俺ぐらいしか預かれる奴が居ないと思って引き取ったが、俺はヤクザだ。やっぱりカタギの家の方が子ども為になる。おれも子どもが居ないから欲しいが、子どものことを考えたい。野菜とお米もあげたあんたには図々しい提案かもしれないが、考えてくれないか?あんたみたいな立派な人なら任せられるし、任せたいんだ。」とヤクザが頭を下げた。

 

「少し考えます。」と家に帰った八百屋は奥さんに相談した。自分が野菜とお米をあげたせいで、物乞いの親が死んでしまったこと、ヤクザの親分から子どもを預かってくれないかと言われたこと、自分は預かりたいと思ってるけど預かれるような人間かなぁ、預かれる稼ぎかなぁと迷って居ることを告げた。

 

奥さんは「何を言ってるの。預かってあげようよ。多分これは運命だよ。稼ぎは何の為に今まで2人だったのよ。多少なり蓄えはあるわよ。子どもを2人くらい面倒見れるよ。足りない分は二人で頑張りましょうよ。」と言った。

 

そして一週間後にヤクザの元へ子ども用の着物を持って子どもを迎えに行き、躾と火消しとを無理矢理掛けて落語は終わる。

 

 

 

覚えている内容を思い出せる範囲でこんなところだと思う。

 

 

立川梅春がこの噺を選んだセンス、そしてその上手いと言えないたどたどしさがさらに情景を引き立てる。

 

 

自分は江戸っ子ではないので、恐らく人情というものとは程遠い。そして生まれであるなにわでも人情とよく言うが、人情を言葉であまり感じたことはない。

 

 

だがこの噺を聞くと、人情っていいなと思う。優しくするだけじゃなくて、尊重して、人の事を思い、人の為に動く。時には厳しくして、それをも受け入れる。子どもを預かる夫婦はきっといい事あるというような、希望的観測のような、でもそれが許されるような、暖かくなる噺である。

 

 

また長くなったがこんなところで。

 

 

ではでは

 

 

tre

 

 

 

本ブログ(日曜日12時53分定期更新)

 

 

 

 

 

2018/4/21 #7 さて一週間続いたが…

 

 

朝無駄に時間が出来たので、この時間にブログを書く。帰ってから本ブログを書いてギター練習しよう。

 

 

毎日文章を書いてみて、ライターやブロガーと言われる人たちはすげぇなぁと改めて思う。自分なんて日記代わりだが、記事の素材を考えて、文章を綺麗に手直しして決まった時間に投稿する。毎日評価されない論文を書いていると考えると凄い精神力だなぁと改めて思う。

 

 

そして一週間続けてみて、ブログの面で一つやりたい事が増えた。まだ機材も揃ってないし、人も集まってないが、出来れば秋頃ぐらいから動き始めたい。

 

 

最近、上岡龍太郎のとある言葉がフラッシュバックする。彼の生い立ちの中で親から言われた事である。「スーツを着るな、人から雇われるな」という2つである。彼は親から言われた事を守り、芸人となり、テレビ司会者として名を馳せ、何かの手違いで引退する事になった。

 

 

「スーツを着るな」と「人から雇われるな」というこの2つは平成の今でも非常に難しい。「スーツを着るな」はまだクリア出来る項目であろうが、「人から雇われるな」となるとかなり限定されてくる。経営者か芸人か農業か職人かとなってくるのではなかろうか。

 

 

ここまで厳しく考える必要はないがこの言葉の裏の意味を考えてみると面白い。セルフプロデュースしていけと言う事ではないかと思う。つまり、精神面の中で、株式会社「自分」の経営者になれって事だろうと思う。

 

 

自分というものを経営していく。他人に経営させてはいけないというメッセージが、「人から雇われるな」という言葉に入っているように思える。

 

 

ミュージシャンでもよくこれは言われている。バンドは企業だ、セルフプロデュースが大事だと言われているが、徹底してこれを実践出来ている人は少ない。やはり「音楽が好き」「やりたい事をやる」という事が先行しがちである。もちろん自分もその一人である。

 

 

本ブログを始めて、サブのブログを始めて、新しい環境になって、上岡龍太郎の言葉が改めて身にしみる。

 

 

ではでは

 

 

tre

 

 

本ブログ

 

 

 

 

 

 

2018/4/20 #6 麻雀について語ろうと思う。

 

 

立派なこと書き過ぎてて段々とブログが書きにくくなってきているので、全く為にならない話を一つ。

 

 

麻雀について思うところを述べる。

 

 

ヤクザの代打ちで名を馳せた雀鬼桜井章一は、麻雀の牌をめくっていく山の事を「牌の通る道」と呼ぶ。

 

 

「麻雀、イカサマ」と検索をかけると彼の名前が割と上位に出てくる。洗牌している間に欲しいものを山の中に仕込んだり、或いはわざと相手にアガらせるような仕込みをしたりとやりたい放題である。

 

 

「なんだイカサマ師か」と思いきやイカサマなしで打ってもひょいひょいとアガって魅せる。全くもって理解出来ないレベルの引きや牌の選択をする上に、イカサマという選択肢も持っている。トランプで言えばジョーカー、ビンゴで言えば真ん中の「free」みたいな人である。

 

 

麻雀は基本的には4人で反時計回りに牌をめくっていく。つまりある程度次に引く牌はアレだなと予想がつく。「通る道」、つまり自分が引くべき牌は積んだ時点で決まっていると彼はいう。鳴きという捨てたものを拾う行為をされると、それは成立しなくなるが、この特性を利用して勝っている人間の調子を下げたり、自分に運を引き寄せたりする事が可能であると彼は言っている。

 

 

麻雀で勝つには手役を揃えなければならない。大幅に負けている人は大きな点の入る役を狙いにいかなければならない。勝っている人間はさっさとこのゲームを終わらせる為に早い手役を作っていく。

 

 

デジタル打ちというのが現在の主流で、確率的に狙える役を狙い、他人がリーチしたり、手が大きいなと思ったりしたら、さっさと降りる。大きくは勝たないが大きくも負けない。アベレージで見れば、確実に点数は違ってくる。

 

 

雀鬼は確率では捉えきれない。雀鬼の作った雀鬼流という麻雀の道場がある。そこでは、麻雀において厳格なルールがある。

 

・第1打の字牌切りは禁止

聴牌までドラは切らない

 

有名な縛りはこの二つである。

 

 

第1打目に字牌を切らない理由が自分は非常に好きだ。「他人に失礼だからだ」というものである。字牌は人によっては必要なものであるので、第1打目に打つというのは紳士ではないというのである。

 

 

例え勝負でも他人を尊重するというところは見習いたいものである。

 

 

自分の大学教授が麻雀については「人格の周辺領域である」と述べている。つまり人が出るというのである。臆病さ、大胆さ、慎重さ、賢さ、そして何より運の強さ。言われてみるとそうかもしれないなと思う。手役にも好みはあるし、その人のその日の運も絡んでくる「ゲーム」であるし、人間を映す鏡みたいなものだなぁとも思う。

 

 

先ほどの雀鬼流の第1打目の字牌切りの禁止も、デジタル打ちではセオリーではないが、人間を尊重するという行為を忘れてはいけないと言うメッセージなのかもしれない。

 

 

麻雀に関する哲学めいたものはたくさんあるので、また紹介出来れば紹介したい。

 

 

ではでは

 

 

tre

 

 

 

 

 

 

2018/4/19 #5 見ず知らずの小学生から受けたボディブロー

 

 

「なんでそんな仕事選んだと?」

 

 

さっきまでカメラに写して写してーと散々喚いていた小学生の一人がカメラマンとディレクターと自分に問いかけてきた。

 

 

和やかにカメラマンが「カメラが好きだからだよ」と答えると少年は「えーそれって人の為になっとると?好きな事ばっかりやってちゃいかんよ」と言った。

 

 

続けて「僕は消防士になりたい。人を助けるからね。人の為に役立つ人になりたいからね。」と言った。

 

 

大人の対応でディレクターもカメラマンも凄いなぁと、大人だなぁ、立派やねぇと笑うしかなかったが、自分は内心穏やかではなかった。まさか派遣社員4日目でこんなボディブローを喰らうなんて思ってもなかった。

 

 

小学校にカメラアシスタントとして、取材に同行したのが一昨日である。研修が終わり、初めての取材が小学校だなんて皮肉なもんだなと心の中で思っていた矢先にこれである。

 

 

笑って流す事しか出来なかったし、真面目に答えるのも言い訳しているようで気恥ずかしいし、大人という立場を使って乗り切るしかなかった。

 

 

恐らく職業と呼べるものは全て人の役にたっている。経済学的には外部不経済というワードもあるが、それでも多くの人が助かっている現実がある。

 

 

それにしてもこの「人の為に」というワードは非常に耳に残る。小学生に言われたのだから尚更だと思う。

 

 

きっと発した彼もクラスではおちゃらけて人に迷惑を掛けているだろうし、お母さんやお父さんに怒られている事もあるだろう。そんな感じの雰囲気を醸し出している小学生だった。しかし、そんな彼でさえも「人の為に」生きようとしている事が素晴らしいと思った。

 

 

いかに自分が自分の為に生きようとしているか、それが恥ずかしくて悔しくて堪らない。

 

 

「人の為に役に立ちたい」という思いで音楽活動しかり、音響の仕事もしかり、このカメラアシスタントもしかり出来ているかと言われると不貞腐れてしまう。

 

 

もちろん全く思っていない訳ではないが、小学生に言われてハッとする程度にしか思ってない時点でお察しである。本当に好きな事しかやってちゃいかんねと思う。その通りだ。

 

 

少しばかり気を入れ替えてみることにするよ、自分はまだ人の役に立ててないし本当に人に迷惑しかかけてないし、恩も金も返せてない、それも一度で返せるような量じゃないから、少しずつでも身近な人から返していくよ、とあの場で言えなかったことがただただ悔しい。

 

 

見ず知らずの小学生から受けたボディブローがジワジワとまだ痛むがとりあえずここで終わる。

 

 

ではでは

 

 

tre

 

 

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2018/4/18 #4 地獄八景亡者戯

 

 

日記4日目、つまり三日坊主は免れた事になる。昨日のブログを読んでくれた友人Mからまた電話があり、「えーやん」と好評も貰った。とっ散らかり具合を少し修正したのが良かったのかなと思うが、なんだかんだで見てくれている友人には感謝したい。

 

 

さて、本ブログの方は相変わらず音楽馬鹿具合を発揮しているが、音楽以外にも趣味はある。

 

 

中学と高校時代、文化系なのか体育会系なのかいまいちわからない登山部に入っていた。トレーニング自体はゴリゴリの体育会系だったが、部員と話していた内容は「遊戯王」やラノベ2chや面白フラッシュ倉庫などなど、文化系の闇を集めたような人間が集まっていた記憶がある。

 

 

登山に関しては、大学時代に一度だけ久住山に大学の友人たちと登ったきり行っていないので、趣味と呼べるか怪しいが、山を登る最中に訪れる「ハイ」になる感覚はたまに感じたくなる。結局山まで行くまでに疲れるので行っていないだけで、日本アルプス辺りはもう一度行きたい欲はある。

 

 

あとは新書を読む事も「趣味」と言ってもいいだろう。知識を付けるためにと思って始めたが、どっぷりハマっている。元々勉強自体は嫌いでないし、国語の現代文に関しても成績は良かった。

 

 

調べる時は自分の気が済むまで徹底的にやるので、baby metalファンキーモンキーベイビーズ吉田拓郎山崎まさよし等、ジャンルもバラバラだが、そこそこのファンと同等レベルの知識は持っている。円周率も無駄に30桁以上言えたりするのでタチが悪い。はっきり言って記憶の容量の無駄遣いな知識も多々ある。

 

 

しかし、この調べる事に熱中する性分のおかげでとても良い趣味に出会えた。それが「落語」である。

 

 

最初に落語を見たのはまだ大阪にいた頃の正月のテレビだったと思う。早朝、親もまだ寝てる時にブラウン管を付けて、チャンネルを変えるのも面倒でたまたまやっていた落語を観始めた。誰がやっていたかは忘れたが、噺は「時そば」だったような記憶がある。

 

 

子どもでも分かりやすいオチでガハガハ笑っていたら母親が起きてきて、「あんた落語なんか観てんの?」となじられて意気揚々と話の内容を話すと「あぁ、時そばやってたのね」と言われ「なんだみんな知ってるなら面白くない」と思ってそれっきりだった。

 

 

かなりの年限が立って、ニュースが飛び込んできた。「談志が死んだ」という粋なタイトルである。7代目立川談志、家元の死去のニュースで、テレビでめちゃくちゃ言っていた人が落語家であったことを知った。更には天才的で革命的な落語家であった事を述べる追悼番組がゾロゾロと並び、興味を持った。

 

 

落語というと過去の正月の思い出が蘇る。なんかわけわからんけど面白かったし観てみるかと思い、立川談志の落語を観ることにした。…訳がわからない。これが落語だっけ?と思ってその時は一回限りでまた終わった。

 

 

またしばらく経って、落語にはマクラと噺、つまり導入と本論があるということを知った。そしてもう一度立川談志の落語を観ることにした。面白い。驚異的なことにたまたま自分が観ていた落語はマクラ8割本論2割というふざけた内容であった。

 

 

源平盛衰記」という噺だ。「戦争は嫌だね」とマクラが入り、身の上話を独自の捻くれた感性で喋り倒して駆け抜けるように本論を終える。彼の落語は落語中に落語の解説だけでなく、独自の解釈も入れてくる。これが立川談志の独自のスタイルであると後にわかってくるのだが、その解釈が面白い。捻くれているというところに関しては非常にシンパシーを感じる。

 

 

落語が面白ければ、人が気になってくる。立川談志という人間に興味を持ち始めた。調べるだけ調べても満足しない。するとまた落語を聴く。調べる。聴く。調べる…。ドキュメンタリーや対談を観れるだけ観て、これは他を知らないとラチが明かないことに気がついた。

 

 

そして前からの落語関連のニュースとして、「人間国宝桂米朝の死」を思い出す。まずはどんな人かを軽く調べてみると、これまた凄い人なんだと伝わってきた。

 

 

戦争で何もかも消えてしまった「上方落語」というものを探せるだけ文献を探し、覚えている人から覚えているだけ噺を聴き、幼い頃、戦争前に聴いていた上方落語を思い出せるだけ思い出し、上方落語というものを体系的に復興させたというとんでもない人物であった。

 

 

意気揚々と桂米朝の落語を聴き始めた。やはり立川談志の落語のイメージが強くて「固い」印象を受けたが、過去の失敗から1つだけではわからないことを感覚的にわかっていたので、次から次に観ていった。

 

 

「本能寺」「始末の極意」と段々と観ていった。「地獄八景亡者戯」、この噺を聴いて、自分は桂米朝に、もちろん立川談志に、そして落語というコンテンツ、いや芸術に完全に堕ちた。

 

 

「地獄八景亡者戯」、字面からすると非常に仰々しく感じるかと思われるが、なんてことはない。ただの馬鹿げた噺である。

 

天国に行く前にも閻魔様の裁きを受けるために地獄へ行く。その様子を表したものであるが、三途の川の前で追い剥ぎをしているはずのお婆さんが、実は世襲制でそうならざるを得なかった若い美人で、閻魔様の2号さんになり、スナック経営後、学生バイトの若い鬼前(男前)と駆け落ちして、閻魔様もそれを容認、しかし生活が苦しくなり、ソープランドでも電話売春でもなんでもやった挙句、野垂れ生き(死に)した後、現世での天寿を全うして、また地獄へ戻ってきた時に書いた小説が馬鹿受け、小説が地獄でドラマ「おばん(おりん)」になり、これも大ヒットし、印税で暮らせるようになって裕福に暮らしている、という噺も入っている。

 

 

地獄の街も近代化していて、劇場には初代から死んだ数だけの「市川團十郎」が全員で主役をやるという噺など、詰めれるだけ詰まっているとんでもない大作の落語である。

 

 

噺自体が1時間弱あるので、喋る方も聴く方も大変ではあるが、「こんな地獄だったら良いなぁ」と思わせてくれる噺だし、これを演じきった桂米朝も天才の片鱗をここに見せている。

 

 

こうして落語ファンとなって数年、リスナーとして寝る前に落語を聴くというのが習慣化している。

 

 

もし最初に見たときにここまでハマっていたのなら、今頃寄席に出ていたかもしれないが、今更目指そうとも思わないし、落語以上に音楽が好きである。

 

 

もっと話したい事はあるが、本ブログでもこんな長い文章なかなか書かないので、ここでとりあえず終わる。

 

 

ではでは

 

 

tre

 

 

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2018/4/17 #3 「3」という数字

 

 

 

こっちのブログが3記事目になる。友人Mから「人に見せるならもっと伝えたい事をはっきりさせろ。」と電話があった。ごもっとも。

 

 

論文やレポートならこんなブログ10点満点なら2、良くて3点取れれば良い方だろう。「よく書けたね」ぐらいなんだろうと思う。

 

 

それでもこうやってまたスマホをポチりながら電車の中で書いているということは、多少なり改心したのか、この導入からして友人Mからの意見が全く耳に入っていないのか。

 

 

考慮はするが、不祥事起こした官庁の会見の「全力で前向きに問題解決に向けて善処して行く方向で進めていく事を考慮します。」ぐらいの感覚でいいと思う。いや、とりあえず1トピックで書いていくことに全力で前向きに…。

 

 

さて、数字には意味があるらしい。1なら始まり、4なら死…と数字一文字一文字に意味があるらしい。

 

 

よくある生年月日の占い等でも、それぞれの占いで数字の意味があるらしい。少し前に占いにハマって、ネット占いをかなりの数した事があった。「1つの占いだけじゃ妥当性がない」とかいう少し学んだ心理学の知識を元に数を打ってそうなったが、「優しい人、情熱がある、人に優しい、世話焼き」の方向で大体はなっていた。どの占いも職業に関しては「芸術家、アーティスト」が書かれていて「占いサイトは本当に俺を社会に出す気はないな」と思ったが、所詮占い、当たるも八卦当たらぬも八卦。しかし10サイト以上に言われたこっちもたまったものではない。

 

 

しかし、誕生日には一文字も出てこない数字の方が自分は愛着がある。それが「3」という数字。自身のアーティスト名であるtreもスウェーデン語で「3」である。自分のバンドの名前から取って、親からアーティスト活動をバレないようにこの名前を使うようになった。

 

 

結局すぐにバレたのだが、それでも今はこのアーティスト名は変えてない。よく友人Tと「あ、トイレさん、ちーす」「誰が便所や」というやり取りをするが気に入っている。

 

 

今まで「3」という数字には、悲しい印象を昔から持っていた。特に3月の印象が強かった。別れの季節である。大学生だった頃は年を追うごとに3月という時期が辛かった。まだ大学にいる先輩方もいらっしゃったが、それでも寂しい気持ちが強かった。それで曲を作ったこともあった。「飛行機に乗って」がそれである。

 

 

飛行機を軽音部という枠組みとして捉えて、人が入れ替わり立ち替わりしていく様を描いたつもりだったが、このMCをライブで言うことなく終わった。「飛行機に乗ってを今後やる機会はないな」とか思ったけど、別に弾き語りで出来なくないし適当なところで言えばいいかとも思う。

 

 

ところが3という数字には、別の意味があった。意外に思うかもしれないが、「繋ぐ」という意味である。「一度でも出会ったやつみんな友達〜」と抜かす奴が小学生の頃居たような気がするが、一度とは言わず、3回会ってお互い話してみると何となく顔見知りになったような気分になる。アメリカのスピーチ番組で何でもいいから3ヶ月続けると習慣になるみたいなスピーチをしていた人がいた。石の上にも三年って言葉もある。

 

 

この数字の意味を聞いて、もしかすると3月も「別れ」ではないのかもしれないと思って鳥肌がたった。1つのコミュニティからは離れるが、別のカテゴリとして新たに繋がる時期なのかもしれないと考えると合点が行く。逆にそれ以降何も繋がりがなくなるという事は、そういう事なのかもしれない。例え別れとなったとしても、このご時世「繋がる」ツールなんて、Skypeというワードが通じなくなるほど溢れているわけで、連絡さえ取り合えば、とりあえずは繋がる。

 

 

「繋がり」を新たに確認する季節が3月。そう考えると合点がいく。人と繋がるには「3」という数字が何かしらのヒントになるのだと思う。

 

 

そんな意味があったとはつゆ知らず、自分のアーティスト名につけてしまったtre青年。何の気なしにライブ活動していたが、この自分の名前に適う活動を今までしてこれてなかったなぁと反省。

 

 

この数字の意味の通りの人になれるように少しずつ努力します。

 

 

ではでは

 

 

tre

 

 

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