2018/5/23 #16 腹を立てた方が負け
この世には理不尽な事の方が多いが、最たる理不尽は自分の中にある。それは腹を立てたところで何のメリットもない事である。
他人に対してムカついたりイラついたりする事は正直ある。しかし悲しい事にそこから何も生まれない。勝手に腹を立てたところで、自分の神経をすり減らし、イラつく時間が取られ、場合によっては体調が悪くなる。
自分がこんなにしてまでイラついてあげているのに、イラつかれている本人は何とも思わず呑気にイラつかせる行動をし続ける。
こんな理不尽な事はない。
更に、徒党を組んでムカつくと大声出しながらすれば多少はイラつかせる人は傷付くかと言われればそうではない。大体のイラつかせるのが上手い人は基本的に人の話は聞いちゃいないし、イラつかれ慣れている。
こんな理不尽な事はない。
結局イラつくという感情は、暴力が許される環境下では盛大に効力を発揮するのであろうが、社会にそんな環境はない。
自分は全く悪くないのに、イラつく事があっても腹を立てる自分が損をする。誠に遺憾であり、残念であり、悔しい気持ちが積もり重なってしまうが、腹を立てた方が馬鹿なのである。
なぜ腹を立ててしまうのかというと、極端な話、自分自身のプライドが高いからである。「俺様にどうしてそんな口が叩けるんだ。」「どーして私様にそんな態度が取れるのかしら?」という気持ち、感情、つまり相手の思っている自分と自分の思っている自分との間に差があるから、腹が立つのである。
とどのつまり人にイラついてばかりいる人は自分のプライドを見直してみてはいかがだろうか。腹を立てたところで自分の身体の健康と自分の時間が失われるだけである。
腹を立てた方が馬鹿をみるなんて本当に理不尽であるが、器を広くする方が自分を守るらしい。
ふと言われたことを思い出した。それにしてもムカつくしイラつくし腹立つなぁ…
おわり
2018/5/10 #15 5月病になっている暇なんてない
5月病なんかになってられないくらい忙しい。正直夜寝ないとやっていけないほど忙しい。
徹マン、飲みの二次会、ギターの練習…夜は自分のメインイベントばかりであったが、それらを全て睡眠時間に当てている。睡眠は尊い。本当にそう思う。
過去あんなにだらしがなかった自分が、アラームをかけて、アラームが鳴る前に目覚めて、朝ご飯を買って食べて、定刻通りの電車に乗っている。信じられない成長である。もちろん仕事が退屈ならとっくに辞めているだろうが、刺激のある職場なのである程度自分の中で折り合いがついているのだと思う。
1日の時間の割合は仕事にめちゃくちゃ取られるが、5月はそれくらいが丁度良いのかもしれない。大学生の頃、5月のGWで大抵の授業をドロップしていた。1日の時間をほぼ自分の時間かバイトの時間に入れ替えているので、授業が始まっても直せずにというパターンである。
生活のパターンを変えるとか急な予定の変更について自分は非常に苦手である。人生一番最初のバイトもバイト入れてないのに入ってるよと言われ、行かずに次の日辞表を叩きつけに行くほどである。もう少しやり方はあっただろうが、遠いし時給は安いし臭かったので丁度良いタイミングだったと思う。
今年のGWは自分にとってGWっぽいGWではなく、全く仕事をしない日は1日だけだった。それが功を奏してか5月病はそこまで酷くない。何も変わらぬ日々を過ごしているだけである。
この生活をとりあえず12月まで続ければ自分としても次のステップへ行けるので、あと半年以上は5月病になんかかかってられない。
…ところで5月病って心地いいよね。
tre
2018/5/8 #14 厄日
職場で全く関係ないところで事故が重なった。絶対にミスをしないような人が立て続けにである。
全て仕方がないと言い切れるものばかりであるが、こういう日を厄日と言うのだろう。悪い事は重なるものと思っていた方がいい。
ミスというとコンビニバイト時代を思い出す。おおよそ起こり得るミスを全て犯したのは自分くらいだろう。遅刻、レジミスから始まり、弁当爆発、ビン割り、期限の見逃し、発注ミス、フライヤー温めずに販売、などなど。意図的にサボった事はないが、無能な働き者だったような記憶がある。
厄日と言われる日は、それらが3.4度起きてオーナーに見つかるまいと早く帰ろうとしたら、いつも来ない時間にオーナーが来て必要以上に叱られその後すぐにミスをするというような日であった。
「仕事の出来ない奴」というレッテルが辞める最後の日まで貼られたままであったが、今考えれば致し方ないことであろう。
至った結論としては、隠した方がより厳しい処罰が待っているということである。
今日もすぐに報告していたからこそ、大事に至らずすぐに修正された。学生バイトと社会人(職人)の差である。
「ミスをしてはいけない」という認識を強く持ちすぎる事が大事に繋がるのだろうと思う。「ミスは起こるから、可能性を少なくする」という事が大切なのだと思う。プラスですぐに報告するのが大切である。
もちろん自分の音響のように「ミスを隠す芸術」という特殊なケースもあるが、多くの場合は報告した方がいい。
報告することによって、大厄日が厄日に、厄日が無難な日になるのだろう。結局今日も厄日になり得る日であったが、無事無難な日となった。何と風通しの良い職場であろうか。
明日こそは良い日にしていきたい。
tre
2018/5/1 #13 パイ食べ放題でパイ投げ
大体この時期にメーデーが行われる。GWとは言え平日の朝から1000人単位で公園に集まっている姿を見ると、大型パ○ンコ施設に集まる姿が思い浮かんだが、流石にアレとは質は違うと納得しながらも一人心の中でむせていた。
「労働者の権利」とは重要視されなければならない項目だし、想定される「普通の生活」を送る為には最低賃金が低いという点は同意する。この「普通の生活」については非常に芳ばしく、ツッコミどころが多いが、最低賃金が低い件に関しては同意しよう。
メーデー自体は非常に格式の高いものであり、守っていくべきイベントの1つだと思う。しかし、労働者だけのものではないとも思う。元々は労使両方のものだったが、ある時から労働者の主張を大にして言うようになったらしい。
労働者と経営者、2者の関係性について述べる日のはずだが、どうも安倍批判がクローズアップされがちである。「結局全てが繋がるんだ〜」と言われればそうなんだろうが、「アベノミクスは効果がなかった」だの「実際には景気は下がってる」だの嘘はいけない。
少なからず自分が高校生の時(民主党政権時)の日経平均株価は10000円を割っていたし、景気もバブル崩壊の基準まで下がっていたような覚えがある。それが今では日経平均株価は22000円、景気は右肩上がりである。
評価すべき点は評価すべきだ。いくら立場があろうとも、上げてない足を取ろうとせずに素直に認めて、その上で要望を出せば良い。上の実績をしっかりと評価していれば、現職の総理大臣や経済大臣、官房長官を地獄釜に入れたイラストを書くなんて行為はしないはずである。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはこの事を言うのだと改めて思う。対案を出さずに政権を否定し続ける野党の姿は、正直飽きた。
メーデーという大事な日まで、この「政権否定」の所為で意味合いを失っている気がする。コンテンツとしてもっともっと有効的に使える日のはずなのに、これでは意味がない。
初めて生でメーデーが観れるとワクワクしていたのに、非常にテンションが下がった。正直ムシャクシャする。
パイ食べ放題でパイ投げされた気分である。
tre
2018/4/28 #12 復帰のステージ
そもそも休んで居たのかさえ怪しいが、今日は音楽活動の復帰となった。4ヶ月弱ステージから離れて居たが、やはり慣れないし、ミスはする。
それはそれで全然いいのだが、改めてライブって良いなぁ、弾き語りしたいなぁと思う。
53club以外で個人の弾き語りはしてないし、意を決してツイキャスをやろうとも「誰もみてなくても良いや」と本気で思えないのが苦痛であまりやってない。
どうしても誰かに観てもらいたいって欲があるんだろうなぁと思う。
立川談志は「自分の考えたギャグを発表して受けなかったから気が狂いそうになる奴が落語家になる」と言った。
自分も「僕の考えた最強の楽曲」を披露してドヤってしたいんだろうなぁと考えると自分の事が酷く幼稚に見えてくるが、まぁそんなもんだろうと開き直るか否か。それが難しい。
とりあえずツイキャスを復活して行きたいし、赤間53clubにもそろそろ戻りたいし、やりたい事が目白押しである。
まずは毎日を生きる体力をつけていきたい。そんなことを色々と思った復帰ライブでした。
またあれば伝えます〜
2018/4/26 #11 午前中休みって素晴らしい
今日は昼出勤にも関わらず、6時半には目覚めた。結局8時ごろまでウダウダしていたが、そこからコーヒーを入れて、プルームテックを吸って充電し、ギターを弾いた。
今まで午前中なんてグダグダと過ごすだけ、場合によっては起きれば夕方みたいな生活だったが、朝早く起きる習慣のおかげで濃縮された休日を過ごした気分である。
きっとこれが午後から休みとかなら、早々に家に帰ってから動くのはキツいと思う。これから仕事だからこそ、セーブしながら穏やかに午前中を過ごせるのだと思う。
そもそも寝るのも体力がいる。寝続けるのも体力がいる。グダグダする事もなんだかんだ体力の回復ではなく、体力を使っているのだと思う。
食べる事と、適度な睡眠が体力の回復なんだろうなと心底思う。休みの日でも「今日は寝てやろう」ではなく±1時間程度の睡眠の方が良いのだろうなと思う。
なんだかんだ普段のペースを崩すのは簡単だが、戻すのがまた体力を使う。そうは言ってられない状況もあるが、今の自分はそれで問題はない。
きっとこれは今まで生きてきた中で一番良い習慣だと思う。朝起きて夜に寝る。朝に起こされるのではなく、朝に起きる。1〜3月で4時起きを続けた甲斐があったなと心底思う。
今日はこれから出勤。そして明日早起きすれば土曜日はライブ。そしてあるのかないのかわからないGW。行事が目白押しだが、5月病をどう乗り越えるかが、今の課題である。
ではでは
tre
2018/4/25 #10 頭の中の司令塔
結局数を重ねるごとにより良くブログ書こうと思って遅くなる。気晴らしに始めたつもりがより欲が出る。その中で推敲に推敲を重ねた結果、昨日は投稿出来ないという事態に陥った。適当になんでも書けば良いのに、それでは許してくれない自分が居た。
もちろん時間がなかったし、体力的に限界でもあったし、携帯の充電もなかったとしと言い訳はいくらでもできるが、時間を見つけて書けなかったことに変わりはない。
始めたは良いものの続かないというのが今までの自分で、やり切らない、やり通せないみたいな中途半端な事が多かった。基本的に気分屋でかつ、集中すると何時間でもやっているタイプなので、最初の方の日記で書いたようなタラタラと毎日継続的に書く作業は本当の本当に不得手である。
それでいて1つダメになると全て放り出してしまうダメなタイプの完璧主義で、一度でも自分のミスをすると「あぁもう良いややーめよ」となる。「あいつは失敗した奴だ」というようなレッテルを他人から貼られている気分に勝手になるし、そして自分でそう思っているだけなのにそのレッテルを貼られた姿を想像して、その姿が自分で許されないからその状況から撤退して居たのだと思う。
どれもこれも自分のプライドが高いのが原因で、我が強い、意地っ張り、曲げない、ひん曲がっているなど自分の特徴を上げればキリがない。
結果的に定期的に継続していく作業が難しいのだが、今日もセコセコと朝にブログを書いている。昨日完成しなかった事にへこたれずに書いている。それは自分の事をよく分かってきたことにある。「どうせ偉そうなこと言ってまたとちるんやろ?」のような自分の中の司令塔がついに自分に対して諦めてくれたような気がする。
諦めてくれたからこそ、司令塔も無理をさせないようになってくれた。「気張らなくて良い、頑張らなくて良い、出来ることをやれば良い」というような態度で接してくれている。
もちろん短期集中型の作業に関しては司令塔も妥協を許してはくれない。短期集中に関しては自分も妥協するつもりはない。ただ中長期の作業については、完璧を求めずにいきたい。
「5%の原則」たるものを聞いた事がある。5%内のミスであれば、徹底的に糾弾せず先に進めるというものである。
今日でこのブログも10日目、目標はとりあえずは100日続ける事。凝り過ぎず、手を抜き過ぎず、続ける事が可能な内容で書いていきたい。
そして段々と力が抜けていけるようにしていきたい。
ではでは
tre