独りよがりを治す気はない

日常的な思考整理手帳

2018/4/22 #8 人情八百屋〜立川梅春〜

 

 

本ブログ更新したし、今日くらいブログ更新しなくてもいっかなとも思ったが、経験上辞めるとしなくなる気がして仕事の休憩中に書く。

 

 

立川梅春、声に出して読みたい日本語トップ10に入りそうな名前であるが、身もふたもないことを言えば、立川梅春は映画監督であり、芸人でもあるビートたけし北野武のことである。

 

 

少し前にタイタンの記念ライブで、立川梅春が落語をした。その話に選んだのは「人情八百屋」である。

 

 

落語は落とす噺でなく、泣かせる噺もある。「笑わせるよりも泣かせる方が簡単だ」という芸人の中での訓示みたいなものがあるらしい。過去のコント番組でも笑わせるコントだけでなく泣かせるコントもある。ドラマと何が違うんだとも思うが、コントの世界も色々とあるらしい。

 

 

さて、人情八百屋という噺。

 

八百屋に物乞いの親子が来た。八百屋の主人は親から話を聞くと、お米と野菜を持たせて帰らせた。夜に奥さんから勘定が合わない事を問われた主人は申し訳なさそうに物乞いに野菜をあげた事を奥さんに告げると、「良いことしたじゃない。あれだったら売れない野菜持っててあげなさいよ。」と言われしばらく経って物乞いの家に行く事にした。

 

物乞いの家に行くと嫌に静かであった。隣の人に話を聞くと人に言う話ではないと言われ、どうしてもと八百屋が食い下がると、両親が自殺したらしい。八百屋に貰った野菜とお米で久しぶりの暖かいご飯を食べて居る最中に借金取りが来て、暖かいご飯を食べて居るのが気にくわないと言い、食料を全て持って行ってしまったという。それに憐れと思った両親が次の朝に首を吊って死んだと言った。

 

「八百屋が余計なことしなけりゃ、親も死ぬことはなかった」と悔しがる隣人に、何とか口を開けて「実は私がその八百屋です」と八百屋が告げると、隣人は慌てふためいて、「いや違うんだよ、あんたは何も悪くないんだよ、悪いのは全部あの借金取りなんだよ、八百屋が悪いと言ったが、あれは言葉のアヤだ、あんたは本当にいい事をしたよ」と返す。

 

「いや本当に取り返しのつかない事をしてしまった。」と泣く八百屋とそれを慰める隣人としばらくやり取りがあり、「そう言えば子どもはどうなった?」と八百屋が隣人に聞くと、「いや、子どもは本当に良い人に拾われたよ。ヤクザの親分が拾ってくれたよ。あの物乞いの親子の事を聞くと真っ先に自分が引き取るっていう言ってくれたよ。」と言った。

 

八百屋がせめてその子どもに謝りたいからそこへ行くと隣人に告げ、ヤクザの元へ向かった。ヤクザの親分に行くと「いまは忙しいんだ、そして機嫌も悪いんだ。」と言われた。よく見ると物乞いの子どももノビノビと暮らしていた。「あの子どもも可哀想にな。八百屋のせいで両親死んだんだよ。本当に無責任な奴だ。」とヤクザが言った。

 

また何とか口を開けて「実は私がその八百屋です。」と告げた。「八百屋?!お前その八百屋か?!」「はい、八百屋です。」

 

…ヤクザが口を開いた。「いや、すまない事を言った。ほんとうに申し訳ない。今のこのご時世にあんたは立派だよ。見ず知らずの人に野菜とお米をあげるなんて立派だよ。子どもを見てくれよ。あいつらお母さんどこ?お父さんどこ?とか一切言わないんだよ。気を使ってないようで気を使ってくれてるんだよ。立派だよ。あんたのような人ばかりだったら良いんだけど、借金取りみたいな奴もいる。あぁあの借金取りな、取っ捕まえてボッコボコにしてやったよ。これがあの夫婦の弔いにも何にもならないが、せめての弔いだよ。」

 

「あんたは奥さんは居るのか?子どもは?」とヤクザが八百屋に聞くと、「いや、奥さんは居ますが、子どもは居ません。」と答えた。すると、ヤクザは子どもを預かってくれないかと言った。「俺ぐらいしか預かれる奴が居ないと思って引き取ったが、俺はヤクザだ。やっぱりカタギの家の方が子ども為になる。おれも子どもが居ないから欲しいが、子どものことを考えたい。野菜とお米もあげたあんたには図々しい提案かもしれないが、考えてくれないか?あんたみたいな立派な人なら任せられるし、任せたいんだ。」とヤクザが頭を下げた。

 

「少し考えます。」と家に帰った八百屋は奥さんに相談した。自分が野菜とお米をあげたせいで、物乞いの親が死んでしまったこと、ヤクザの親分から子どもを預かってくれないかと言われたこと、自分は預かりたいと思ってるけど預かれるような人間かなぁ、預かれる稼ぎかなぁと迷って居ることを告げた。

 

奥さんは「何を言ってるの。預かってあげようよ。多分これは運命だよ。稼ぎは何の為に今まで2人だったのよ。多少なり蓄えはあるわよ。子どもを2人くらい面倒見れるよ。足りない分は二人で頑張りましょうよ。」と言った。

 

そして一週間後にヤクザの元へ子ども用の着物を持って子どもを迎えに行き、躾と火消しとを無理矢理掛けて落語は終わる。

 

 

 

覚えている内容を思い出せる範囲でこんなところだと思う。

 

 

立川梅春がこの噺を選んだセンス、そしてその上手いと言えないたどたどしさがさらに情景を引き立てる。

 

 

自分は江戸っ子ではないので、恐らく人情というものとは程遠い。そして生まれであるなにわでも人情とよく言うが、人情を言葉であまり感じたことはない。

 

 

だがこの噺を聞くと、人情っていいなと思う。優しくするだけじゃなくて、尊重して、人の事を思い、人の為に動く。時には厳しくして、それをも受け入れる。子どもを預かる夫婦はきっといい事あるというような、希望的観測のような、でもそれが許されるような、暖かくなる噺である。

 

 

また長くなったがこんなところで。

 

 

ではでは

 

 

tre

 

 

 

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