独りよがりを治す気はない

日常的な思考整理手帳

2018/4/23 #9 「運がいい」の意味

 

 

守秘義務かもしれないが隠せるところは隠しながら行きたい。

 

 

今日とある企業の会見に行った。役職に関する会見であったが、そこで昇進する人が言った言葉が残っている。

 

 

「私は運が良い。例えそれが世間的に見ても当然であると思うことでも運が良いと思うようにしている。」という言葉である。

 

 

この言葉は旧松下電気の入社試験の面接でも言われていた言葉である。「今まで貴方の人生は運が良かったですか?」という質問で「いやぁ、運が悪かったです。」と答えると落とされるという有名な逸話がある。「運が良かった」という人は周りに恵まれているという感謝や、自分の実力以上に外的要因に対しての感謝の気持ちを持ったいるからとか、そんな理由だった気がする。

 

 

自分も似たような感情を持つようにしている。自分の人生も適当に生きてきた割には本当に運が良いと思っている。

 

 

適当に選んだ大学で軽音楽部に入って、音楽についてより詳しくなれたのも運が良いし、その流れで音響の仕事にも関われているというのも運が良いし、気分が落ちた時でも支えてくれている人が側にいたのも運が良かったし、またその音楽のおかげで色んな人と知り合いになれたという事も運が良い。

 

 

打算的に生きてきたつもりではあるが、それ以上の成果を肌で感じることが多い。もちろん運が悪かったと思う事もあるが、それ以上に自分のミスである事が多いし、本当に運が悪かった事は少ない。

 

 

捉え方次第で何とでもなると色んな哲学者や宗教職の方が言っている。「幸せ」と感じるハードルを下げる事で、幸せはいくらでも感じる事が出来ると大体の宗教が言っている。

 

 

「運がいい」も似たようなものなのだと思う。成るように成った結果をどう捉えるかの問題なんだと思う。宝くじや懸賞とかも結局買ったり応募したりしなければ当たらないし、したところで当たる事はない。目に見えるものでなくとも、その環境に身を置いている事でなって来た結果である事もあると思う。それを「運が良い」と言う。自分がそうしたというところを置いておいて、他人や周りの環境が良かったと思う事、謙遜のような美徳みたいなものが「運が良い」という言葉に詰まっているのだと考える。

 

 

自分も松下電気の話を聞いてから、「運がいい」と思うようにしているが、まさか会見で同じ話が出てくるとは思わなかった。

 

 

おんなじ事を思っているのだから俺も出世したい。(本音

 

 

ではでは

 

 

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