独りよがりを治す気はない

日常的な思考整理手帳

2018/4/18 #4 地獄八景亡者戯

 

 

日記4日目、つまり三日坊主は免れた事になる。昨日のブログを読んでくれた友人Mからまた電話があり、「えーやん」と好評も貰った。とっ散らかり具合を少し修正したのが良かったのかなと思うが、なんだかんだで見てくれている友人には感謝したい。

 

 

さて、本ブログの方は相変わらず音楽馬鹿具合を発揮しているが、音楽以外にも趣味はある。

 

 

中学と高校時代、文化系なのか体育会系なのかいまいちわからない登山部に入っていた。トレーニング自体はゴリゴリの体育会系だったが、部員と話していた内容は「遊戯王」やラノベ2chや面白フラッシュ倉庫などなど、文化系の闇を集めたような人間が集まっていた記憶がある。

 

 

登山に関しては、大学時代に一度だけ久住山に大学の友人たちと登ったきり行っていないので、趣味と呼べるか怪しいが、山を登る最中に訪れる「ハイ」になる感覚はたまに感じたくなる。結局山まで行くまでに疲れるので行っていないだけで、日本アルプス辺りはもう一度行きたい欲はある。

 

 

あとは新書を読む事も「趣味」と言ってもいいだろう。知識を付けるためにと思って始めたが、どっぷりハマっている。元々勉強自体は嫌いでないし、国語の現代文に関しても成績は良かった。

 

 

調べる時は自分の気が済むまで徹底的にやるので、baby metalファンキーモンキーベイビーズ吉田拓郎山崎まさよし等、ジャンルもバラバラだが、そこそこのファンと同等レベルの知識は持っている。円周率も無駄に30桁以上言えたりするのでタチが悪い。はっきり言って記憶の容量の無駄遣いな知識も多々ある。

 

 

しかし、この調べる事に熱中する性分のおかげでとても良い趣味に出会えた。それが「落語」である。

 

 

最初に落語を見たのはまだ大阪にいた頃の正月のテレビだったと思う。早朝、親もまだ寝てる時にブラウン管を付けて、チャンネルを変えるのも面倒でたまたまやっていた落語を観始めた。誰がやっていたかは忘れたが、噺は「時そば」だったような記憶がある。

 

 

子どもでも分かりやすいオチでガハガハ笑っていたら母親が起きてきて、「あんた落語なんか観てんの?」となじられて意気揚々と話の内容を話すと「あぁ、時そばやってたのね」と言われ「なんだみんな知ってるなら面白くない」と思ってそれっきりだった。

 

 

かなりの年限が立って、ニュースが飛び込んできた。「談志が死んだ」という粋なタイトルである。7代目立川談志、家元の死去のニュースで、テレビでめちゃくちゃ言っていた人が落語家であったことを知った。更には天才的で革命的な落語家であった事を述べる追悼番組がゾロゾロと並び、興味を持った。

 

 

落語というと過去の正月の思い出が蘇る。なんかわけわからんけど面白かったし観てみるかと思い、立川談志の落語を観ることにした。…訳がわからない。これが落語だっけ?と思ってその時は一回限りでまた終わった。

 

 

またしばらく経って、落語にはマクラと噺、つまり導入と本論があるということを知った。そしてもう一度立川談志の落語を観ることにした。面白い。驚異的なことにたまたま自分が観ていた落語はマクラ8割本論2割というふざけた内容であった。

 

 

源平盛衰記」という噺だ。「戦争は嫌だね」とマクラが入り、身の上話を独自の捻くれた感性で喋り倒して駆け抜けるように本論を終える。彼の落語は落語中に落語の解説だけでなく、独自の解釈も入れてくる。これが立川談志の独自のスタイルであると後にわかってくるのだが、その解釈が面白い。捻くれているというところに関しては非常にシンパシーを感じる。

 

 

落語が面白ければ、人が気になってくる。立川談志という人間に興味を持ち始めた。調べるだけ調べても満足しない。するとまた落語を聴く。調べる。聴く。調べる…。ドキュメンタリーや対談を観れるだけ観て、これは他を知らないとラチが明かないことに気がついた。

 

 

そして前からの落語関連のニュースとして、「人間国宝桂米朝の死」を思い出す。まずはどんな人かを軽く調べてみると、これまた凄い人なんだと伝わってきた。

 

 

戦争で何もかも消えてしまった「上方落語」というものを探せるだけ文献を探し、覚えている人から覚えているだけ噺を聴き、幼い頃、戦争前に聴いていた上方落語を思い出せるだけ思い出し、上方落語というものを体系的に復興させたというとんでもない人物であった。

 

 

意気揚々と桂米朝の落語を聴き始めた。やはり立川談志の落語のイメージが強くて「固い」印象を受けたが、過去の失敗から1つだけではわからないことを感覚的にわかっていたので、次から次に観ていった。

 

 

「本能寺」「始末の極意」と段々と観ていった。「地獄八景亡者戯」、この噺を聴いて、自分は桂米朝に、もちろん立川談志に、そして落語というコンテンツ、いや芸術に完全に堕ちた。

 

 

「地獄八景亡者戯」、字面からすると非常に仰々しく感じるかと思われるが、なんてことはない。ただの馬鹿げた噺である。

 

天国に行く前にも閻魔様の裁きを受けるために地獄へ行く。その様子を表したものであるが、三途の川の前で追い剥ぎをしているはずのお婆さんが、実は世襲制でそうならざるを得なかった若い美人で、閻魔様の2号さんになり、スナック経営後、学生バイトの若い鬼前(男前)と駆け落ちして、閻魔様もそれを容認、しかし生活が苦しくなり、ソープランドでも電話売春でもなんでもやった挙句、野垂れ生き(死に)した後、現世での天寿を全うして、また地獄へ戻ってきた時に書いた小説が馬鹿受け、小説が地獄でドラマ「おばん(おりん)」になり、これも大ヒットし、印税で暮らせるようになって裕福に暮らしている、という噺も入っている。

 

 

地獄の街も近代化していて、劇場には初代から死んだ数だけの「市川團十郎」が全員で主役をやるという噺など、詰めれるだけ詰まっているとんでもない大作の落語である。

 

 

噺自体が1時間弱あるので、喋る方も聴く方も大変ではあるが、「こんな地獄だったら良いなぁ」と思わせてくれる噺だし、これを演じきった桂米朝も天才の片鱗をここに見せている。

 

 

こうして落語ファンとなって数年、リスナーとして寝る前に落語を聴くというのが習慣化している。

 

 

もし最初に見たときにここまでハマっていたのなら、今頃寄席に出ていたかもしれないが、今更目指そうとも思わないし、落語以上に音楽が好きである。

 

 

もっと話したい事はあるが、本ブログでもこんな長い文章なかなか書かないので、ここでとりあえず終わる。

 

 

ではでは

 

 

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