独りよがりを治す気はない

日常的な思考整理手帳

2018/4/17 #3 「3」という数字

 

 

 

こっちのブログが3記事目になる。友人Mから「人に見せるならもっと伝えたい事をはっきりさせろ。」と電話があった。ごもっとも。

 

 

論文やレポートならこんなブログ10点満点なら2、良くて3点取れれば良い方だろう。「よく書けたね」ぐらいなんだろうと思う。

 

 

それでもこうやってまたスマホをポチりながら電車の中で書いているということは、多少なり改心したのか、この導入からして友人Mからの意見が全く耳に入っていないのか。

 

 

考慮はするが、不祥事起こした官庁の会見の「全力で前向きに問題解決に向けて善処して行く方向で進めていく事を考慮します。」ぐらいの感覚でいいと思う。いや、とりあえず1トピックで書いていくことに全力で前向きに…。

 

 

さて、数字には意味があるらしい。1なら始まり、4なら死…と数字一文字一文字に意味があるらしい。

 

 

よくある生年月日の占い等でも、それぞれの占いで数字の意味があるらしい。少し前に占いにハマって、ネット占いをかなりの数した事があった。「1つの占いだけじゃ妥当性がない」とかいう少し学んだ心理学の知識を元に数を打ってそうなったが、「優しい人、情熱がある、人に優しい、世話焼き」の方向で大体はなっていた。どの占いも職業に関しては「芸術家、アーティスト」が書かれていて「占いサイトは本当に俺を社会に出す気はないな」と思ったが、所詮占い、当たるも八卦当たらぬも八卦。しかし10サイト以上に言われたこっちもたまったものではない。

 

 

しかし、誕生日には一文字も出てこない数字の方が自分は愛着がある。それが「3」という数字。自身のアーティスト名であるtreもスウェーデン語で「3」である。自分のバンドの名前から取って、親からアーティスト活動をバレないようにこの名前を使うようになった。

 

 

結局すぐにバレたのだが、それでも今はこのアーティスト名は変えてない。よく友人Tと「あ、トイレさん、ちーす」「誰が便所や」というやり取りをするが気に入っている。

 

 

今まで「3」という数字には、悲しい印象を昔から持っていた。特に3月の印象が強かった。別れの季節である。大学生だった頃は年を追うごとに3月という時期が辛かった。まだ大学にいる先輩方もいらっしゃったが、それでも寂しい気持ちが強かった。それで曲を作ったこともあった。「飛行機に乗って」がそれである。

 

 

飛行機を軽音部という枠組みとして捉えて、人が入れ替わり立ち替わりしていく様を描いたつもりだったが、このMCをライブで言うことなく終わった。「飛行機に乗ってを今後やる機会はないな」とか思ったけど、別に弾き語りで出来なくないし適当なところで言えばいいかとも思う。

 

 

ところが3という数字には、別の意味があった。意外に思うかもしれないが、「繋ぐ」という意味である。「一度でも出会ったやつみんな友達〜」と抜かす奴が小学生の頃居たような気がするが、一度とは言わず、3回会ってお互い話してみると何となく顔見知りになったような気分になる。アメリカのスピーチ番組で何でもいいから3ヶ月続けると習慣になるみたいなスピーチをしていた人がいた。石の上にも三年って言葉もある。

 

 

この数字の意味を聞いて、もしかすると3月も「別れ」ではないのかもしれないと思って鳥肌がたった。1つのコミュニティからは離れるが、別のカテゴリとして新たに繋がる時期なのかもしれないと考えると合点が行く。逆にそれ以降何も繋がりがなくなるという事は、そういう事なのかもしれない。例え別れとなったとしても、このご時世「繋がる」ツールなんて、Skypeというワードが通じなくなるほど溢れているわけで、連絡さえ取り合えば、とりあえずは繋がる。

 

 

「繋がり」を新たに確認する季節が3月。そう考えると合点がいく。人と繋がるには「3」という数字が何かしらのヒントになるのだと思う。

 

 

そんな意味があったとはつゆ知らず、自分のアーティスト名につけてしまったtre青年。何の気なしにライブ活動していたが、この自分の名前に適う活動を今までしてこれてなかったなぁと反省。

 

 

この数字の意味の通りの人になれるように少しずつ努力します。

 

 

ではでは

 

 

tre

 

 

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