2018/04/15 #1 独りよがりを治す気はない
主ブログを始めて1年弱経ちました。
「treのアコースティックな日々」の管理人をしておりますtreと申します。
「日々」と言いながら、真面目に書いてきた文章ですが、自分の文を出来るだけ消す作業なんですよね。表現力を出すことが難しくなってきたので、こちらのブログで適当にアウトプットするような日記のようなものをやろうと思い立ち、この記事を書くことになりました。
そう本来の文章はこんな感じでとっ散らかってるんですよね…。
思考整理には表に出していく、それが綺麗になったのがブログ、もっと簡潔にしたものが楽曲、そんなイメージ、バランスで今は生きてます。
思考もないようなグダクダしたものが書きたいんだな?そういう理解で問題ありません。
長々と前置きしました。そろそろタイトル伏線回収作業に移っていくわけですが、数少ない古い私のファンの方ならどの楽曲から引っ張ってきたのかはよくご存知でしょう。そう「水の国へようこそ」。
何年か前のいつの日かは忘れましたが、0時53分に結成した3ピースバンドfemtre(フェムトレ)。半年近くベースが不在のまま、弾き語りをしていた中で生まれた楽曲が「水の国へようこそ」。バンド風にアレンジの後に、ベーシスト加入、完成度が年を追うごとに変化していった楽曲の変わらない歌詞の一行目。
「独りよがりは治らない」
この一文をない頭から引っ張りだしたあの時のtre青年、きっと今はさぞかし有名なアーティストになっているのだろうなぁと思いきや現状。深くは言うまい。
抽象的な歌詞を書くのが好きだった時分に唯一感謝すべきは、年を追うごとに歌詞の捉えようが変わってくることですね。
恋愛の失敗をテーマにしていたような気もしますが、作った時の想いなんてどっかへ飛んでいってしまいました。
上を見れば宇宙があって限りなく広い広い世界、マクロの世界がある。反対に水の国ではミクロの世界。心も広く広くするのではなく、奥の方へ奥の方へ堕ちていく。湖そのものを心と形容して底の方へ底の方へと潜っていく。そこには何もないのに湖から上がろうとせずに、潜っていく。
まるで解決策の見えない夜。乾いた砂漠の方が息ができる。それすらしようとしない。湖から出ようとしない。
こういった心の潜水と呼吸のジレンマ的なものを描いているのがこの「水の国へようこそ」。
完結もしていない歌詞が逆に良い。この歌詞に救いはなく、ない底に向けて堕ちるだけ堕ちていく。このセンスは今の私にはないです。
さて、「独りよがりを治す気はない」と言うタイトル。
「水の国へようこそ」では「独りよがり」と言うものが治さなくてはならない病気のようなニュアンスで描かれています。
数年前のtre青年には、まだ独りよがりに関して恥が見えていますね。
現状。こんなタラタラとブログに日々の記録を載せようとしているくらいですから、もう恥もクソもありません。
「独りよがり」から「独立」というニュアンスになってきたのか、そんなことはどうでもよくなってきたのか。
「独りよがり」と言うワード自体に興味がなくなってきてるんでしょうね。
「7つの習慣」というご立派な本には、アメリカの個人主義の進化系、人格主義というものを提唱しています。
その中での「win-win,or no deal」という考え方、良いこと言うじゃんって思いましたね。両者の為にならないなら関わらない。
それが出来れば苦労しねぇよ、でも良いこと言うじゃんって感じですね。
今更蒸し返すのもあれですが、過去のtre青年に向けて一言だけメッセージを送るとするならば、
「loseを抱え込むことは独りよがりだが、一人でいる事は別に悪いことじゃねーぞ」と。
彼女が出来るような人間じゃないんだから夜に一人なのは、当然。朝起きて人に会う生活をしていれば自然と夜は眠くなる。
それが「独りよがり」と言うのは違うが、他人を尊重することは大切。
未だにプライドは天より高いのが反省すべき点だけど、他人を尊重しなければいかん。
人との交流の仕方、天性で人の寄ってくる人もいるが、大抵そうではない。ただ人の事を虫けらのように見ている人にはあまり人は寄ってきてないように感じる。
他人を尊重する為には自分という確固たる存在が必要。
だからわたしは今こういう。
「独りよがりを治す気はない」
また近々歌詞を読み返して、解釈を変えてみようと思います。
終わる時はぬるっと終わる。
tre
本ブログ(仮)
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